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■1992年
実力派ポップバンド「リペアーズ(ヴォーカルは現在SWINGING POPSICLEで活躍中の藤島 美音子さん)」のユミタ マサヒロと、新宿・下北沢で精力的にライヴ活動をしていたガールズオルタナティブバンド「SPELLZDOPE」のクラモト ジュンコが都立大学にあるスタジオで知り合う。 |
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■1994年
同時期に2つのバンドは解散、ユミタは一人作曲に励み、クラモトはスタジオ仲間とミクスチャーバンド「バターボール」を結成。そこでミムラ ケンジと 出会う。それと平行して、どうしてもライヴがやりたかったユミタの誘いでクラモがベースを手伝う。それから約1年間ドラマーが入れ替わり立ち代りし、ライヴ活動ができないまま二人きりの練習が続く。
同時にヴォーカリストも探していたが、なかなか見つからず、必然的に自らが歌う事になる。
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■1995年
ユミタの強い情熱に打たれた(かどうかは知らないが)クラモトがバターボールを脱退、正式にユミタ・プロジェクトに参加。
4曲入りのデモテープ「I'LL GIVE YOU 4 SONGS OF...」を作成、SWEET AGNESSが誕生!この時ドラムを手伝ってくれたのは、元PEALOUTの高橋 浩司氏。あまりにもドラマーが定まらないので(一時期はアメリカ人ドラマーともセッションしている!)、シビレを切らしたクラモトが
「 リハ代いらないからライヴ1回だけ手伝ってくんない?」 と調子の良い事を言ってミムラを引きずり込む。
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■1996年
6月2日、原宿RUIDOで初ライヴを行う。バターボール解散後、ミムラがそのまま定着し、本格的にライヴ活動開始。10月、3人揃っての初のデモテープ「SWEET AGNESS SHOW」を作成。 |
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■1997年〜1999年
ミムラ加入後はライヴとデモテープ作成を活発的に行う。渋谷EGG‐MAN、原宿RUIDO等で月に1〜2本、ライヴをレギュラー化。デモテープは1997年2月「LOVE SONGS」、同年9月「JUICY! FANCY! FRUITY!」、1999年1月「Vol.4」を製作。「JUICY!…」に収録されている「美人姉妹と日本の住まい」が好評となり、オムニバス企画参加、有線でのオンエアー、レコード会社数社のオーディションに名を挙げる(挙げるだけ…)。 |
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■2000年〜2002年
2000年1月、6曲入りCD-R「No.5」、2001年8月同じく6曲入りCD-R「MOON LIGHT LOVE」作成。NACK5の番組「オーディション」で「胸いっぱいに架かる虹」がON AIRされる。ライヴは六本木Y2K、池袋ROSAなど、渋谷・原宿からさらに活動の場を広げる。また大学の文化祭出演やレストランでのアコースティックライヴなど新たな活動も行う。
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■2003年
新年の幕開けと同時に新譜作成を開始するが、様々なトラブルに見舞われ思うように作業が進まず、約4ヶ月を費やし5月、7枚目となる「7739」を発売。ライヴは浜松町CLUB JUNK BOX、赤坂L@N等にも出演。また4月にミムラが結婚。
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■2004年
2月よりストリート・ライヴ開始。横浜駅前にて演奏しているところを偶然に通りかかった嵐 ヨシユキ氏(横浜銀蝿/シルバーレコード社長)の目に留まる。それがきっかけとなり、4月「嵐ちゃん祭り」、9月には嵐氏プロデュース・企画アルバム「湘南爆走族FOREVER」に「二人の恋」と「桜咲くこの町で」の2曲で参加。ストリ−ト・ライヴは代々木公園、渋谷駅前、横浜駅前等転々とした結果、横浜・山下公園に落ち着く。 |
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■2005年
ユミタが高校生時代にファンであったTHE SHAKESとスタジオで出会い、7月下北沢CLUB 251にてTHE SHAKES企画のイベントに参加。9月、自主レーベル「アグネスサウン堂」を立ち上げる。これまでデモ音源として発表した曲の中から14曲を抜粋し、リマスターして、11月15日SWEET
AGNESS初のフル・アルバム「渚色ポップチューン」を発売する。 |
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■2006年
2月より「渚色ポップチューン」をひっさげて「ナギサイロ★ポップ★ツアー」開始!北関東・東海・関西を中心に北は北海道・札幌まで!各地で好評を得る。 |
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■2007年
7月22日 CLUB24 YOKOHAMAにて横浜銀蝿 翔さんソロ・ライブのオープニング・アクトという大役を務める。その3日後の25日、6曲入り2ndミニ・アルバム「ロックンロールケーキ」を発売!再びツアー開始。 |
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■2008年
さぁ、今年はどんな展開になるか?今後もスイアグの動向にご注目! |
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